あけましておめでとうございます !

僕のシアターワークの原点は、英国にあります。表現をするということを通じて、心と身体が蠢き・動き・身体性をともなった時、人は自分自身の存在や心の声にさらに接続されるという僕のシアターワークの基本の考えは、僕自身が英国の大学でパフォーマーとして学んできたことに基づいています。たとえば、僕は、シェイクスピアの演劇教育を通じて「声」や「身体性」を、演劇という芸術空間のなかで、立ち上げてゆく方法論と実践を学んできました。それは、心身の潜在性や深層の心の声や葛藤を解放させてくれる術を持ち合わせており、幼い頃から心身の著しい不調和で苦しんでいた僕自身にとっては、芸術表現とは、人の命を蘇生させてくれるものでもあるということを教えてくれました。

あれから15年という歳月が流れ、ふたたびイギリスの地を訪れ、イギリスは目覚ましく変化していると感じています。今年は、学びの原点である、この英国で新たに学び、協同してゆく、始まりの年にします。

これから、シアターワークでベトナムに行ってきます。日本では、2019年度は早稲田大学で一年間、毎週授業を担当します。また、「心と身体の表現学Ⅰ〜Ⅳ」として、計30時間の正式カリキュラムをもとに、どなたでも受講が可能な一般講座が開設されます。詳細は、後日発表しますので、ご興味のある方は、ぜひ ともに学びましょう。

本年もどうぞよろしくお願いいたします !

小木戸 利光

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【開催報告11/17】ワンデイシアターワークショップ@川崎市・高願寺(スタッフ)

11月17日、神奈川県の武蔵小杉にある高願寺さんで
1DAYプログラムを開催しました。これまでは複数回セットのプログラムが中心でしたが、1DAYプログラムは初となります。

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会場の部屋に入ると、やや緊張した面持ちの参加者の方々が自分の座布団を選び、広々とした和室の好きな場所に座っていました。

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部屋にはストーブが2つ。
障子が開け放たれた部屋の外には素敵な縁側とすっきりとしたお庭が広がっています。肌寒いけれども温かい雰囲気のお寺。
ゆったりとした心地の中でプログラムが始まりました。


はじめに小木戸より1日全体のイントロダクションがあり、
その後、各々の参加者の方々で自己紹介タイムです。

「人生で何をしたいのかわからなくなってしまった」

このように、人生の節目であることを感じつつ、そこに向き合おうとしている参加者の人もいれば、

 「1日の中で自分の感覚をチューニングして、整えたい」

 と語る人も。

参加者の方々がおのずから言葉を紡ぎ、あっという間に時間が過ぎていきます。

自己紹介が終わって行ったのは数字をカウントするワーク。

1から20まで参加者の方々で打ち合わせなしに、コールしていくものです。

同じ数字を複数の人が同時に言ったら、

また1から。

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このワークには成功も失敗もありませんが、ついつい「間違えた!」と思ってしまったり、「うまくやらないと」と思ったり、人によって数字をカウントするシンプルなワークなのに個性が出てくるのが面白いところ。        

昼の休憩を挟んだ後、身体を緩めるために床にみんなで転がりました。

普段の生活では、「頑張って姿勢を保たなくては」というふうに身体を緊張させている人が多いのですが、それを緩めていくことで、身体の隅々にすでにある忘れられた感覚を取り戻していきます。

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身体は毎日の生活の中で緊張しています。それをほどいていくと、不思議と過去のことを思い出す人もいらっしゃいます。過去にわだかまっている緊張が、身体の緩みと共に出てくるのはなんとも不思議です。   

和室の畳の上では鳥の声が響く静寂の中、参加者の方々から深い吐息が漏れていました。

身体をゆるめるこの時間は普段の忙しい日々の中では貴重なものなのかもしれません。    

身体をゆるめた後には、それぞれが感じたことを紙に書き留める時間を取りました。

  

紙にびっしり文章を書く方

キーワードを書き留める方

絵を描く方

         

それぞれがしっくりくる表現が紙の上に紡がれていきました。

   

プログラムは終盤へ。ボールを使ったワークを実施しました。ここではボールを人へ 手渡していきます。ボールには始めの1人の方の世界観を想像してもらい、それをボールに手渡していくような感覚を大事にしてもらいながら、1人1人即興的な流れの中で流れが進んでいきました。

そして最後には、即興的なシアターの時間。

シアターで振る舞う時には、先ほどの紙に書き留めたメモがベースとなっています。しかし、シアターはその時しか演じることができない即興的なものです。言おうと思っていたことが流れの中で変わり、その言葉と振る舞いを感じた次の人がまた触発されるように振舞っていきます。  

参加者の中に演劇を専門でやってらっしゃる方はいません。

ですが、1日のプログラムでどの参加者の方も流れの中で心を打つような語りや振る舞いを見せてくれます。

 涙を流す参加者の方もいれば、

自分の過去から解放された気分になる参加者の方も。

それぞれが各々の感覚を大事にしながら即興的なシアターは立ち現れていきました。

                  

シアターの体験では多くの人が思いがけず過去の体験を思い出します。

普段は押さえつけてしまっている感覚を開いていくと、今の瞬間キュッとなっていた感覚がほどかれるだけではなく、過去のわだかまりもほどけていくのです。

       

過去に向き合いながらも、それが過去のものでしかないことを知る時、今の瞬間にシアターを作る参加者の方の中には大きな変容を体験する方もいらっしゃます。

               

そのような体験はカウンセリングや変容をサポートをする専門家のセッション、セラピー体験でも経験することができますが、シアターワークでは複数人でやるのが特徴です。

     

自分自身が自ずからなにをやりたいのかを感じ取っていくことを、場に集ったバックグラウンドの方々とともに深めていきます。その体験は一つ一つが即興的で、かけがえのないものです。   

プログラム終了後にはお寺に残って話し込む参加者の方々が。シアターの体験をともにした参加者の方々はとても仲良くなりますので、このご縁がまた先へと紡がれていくのかもしれません。

       

はじめて行った1DAYプログラムは無事終了し、参加者の方々はまた日常の生活へと戻っていきました。

   

ワークショップを開催させていただきました川崎市の高願寺さん
ありがとうございました!

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中川れい子(NPO法人タッチケア支援センター理事長)

「ソマティクスと表現」
2日目の午後は、ロルファーで身体研究家の藤本靖先生と、アーティストで俳優の小木戸利光先生のワークショップをとりました。タイトルは「シアターワークで体験するソマティクス」最後は、ソマティクスの本家本元、内側から生き生きと自分自身を感じる体験へ。

私自身の大学時代の専攻が、もともとが「美学」。アートや表現についてを学んできたのですが、なので、そこから、ケアや癒し、ボディワークへと辿りつくことは、自分でも摩訶不思議な旅でもありました。とはいえ、私の中で、癒しやケアが、ソマティクスでなければ困る理由は、この私のルーツにあります。

芸術やアートは、瞬間瞬間にその感動は生まれ、そして一人一人の内側のハートに届くものです。その感動が、内側から感じる活き活きとした私のからだ、ソーマを通して起こるものでもあります。

舞踏や演劇のみならず、音楽や、絵画、そして、詩や小説ですら、身体的な表現であり、それは、芸術家のソーマから、観客のソーマへと伝達するものなのでしょう。

これは、初日のパネルディスカッションで語られた60年代、80年代の「肉体の反乱」ともつながるし、また、ソマティクスの草創期である、1920年代のヨーロッパで起こった舞踏表現にもつながります。

8月に、大阪大学で開催された、エビデンスに基づく統合医学研究会での「人に寄り添うケアとは」のパネルディスカッションで、京都大学医学部看護学教授で元淀川キリスト教病院師長の田村恵子先生から、セラピストたちは、ケアの現場を、自分自身の「表現」にしてしまってはいないか?という問いかけを思い返します。それが、一方的な自己表現にすぎないのならば、ケアの現場にセラピストはかかわらないほうが良いと思うのですが、本来、エサレンや、ソマティクスから来ている私にとって、ケアやセラピーとは、どこか身体的な表現と切り離すことができずにいる自分がいました。

ようするに、セラピスト自身が、「私が何を感じ、考えているのか? そして、どのように動くのか?」という一人称を手放して、100%相手に寄り添うということは、不可能だからです。少なくとも、セラピスト自身の、内側の心地よさ、、、は、とても重要。

ここは、藤本先生が、能の「離見の見」を例にとり、とてもわかりやすく解説してくださいました。「ケア」というテーマの大会に、こうしたワークショップは、ある意味、チャレンジでらっしゃったと思いますが、ソマティクスの原点は表現やアートと切り離すのは無理があるのでしょう。

俳優の、小木戸さんの動きや、身のこなしはとても美しく、時とともに、しなやかに会場全体をつなげていきます。微細で繊細な動き。大地と、空気、、、そして、参加者とのつながり。

こうした、波のような動きが、エサレンボディワークの場合、エネルギーのみならず、癒しそのものを創り出すことを、私たちは、知っています。だから、動きはとても大切な癒しの要素。(だから、エサレンボディワークは、The art of Healing ともよびます)

藤本さんのガイドによる、コンタクトインプロゼーションも、一人称と、間主観がつながっていく、人と人との「寄り添い」の原点を、動的に再体験しました。この人と人とのあり方、寄り添いの、一人称と一人称とがつながるリアリティを、ケアの現場にもっと伝えれたらなぁといつも思うのですが、、(実はここを伝えるのが一番難しい)

小松ゆり子(Touch for World 代表/パーソナル・セラピスト)

最後の分科会は藤本靖先生と、アーティスト・俳優の小木戸利光さんによる「演劇と身体論 『シアターワークで体験するソマティクス』」。

これが、まさに「セラピーと芸術」が相互であることを体験できる、とても面白いものでした。

********

常々アーティストはある種のヒーラーである、と思っている。

シャーマニズムやそれにまつわる儀式は何かしらの芸術性が付随していることも多い。

シャーマンやアーティストは、より粒子が細かいものを感じとることに長けている人たちなのだと思う。

最初に小木戸さんから「”表現”とは?」という問いが。

「表現=表に現れる」ということ。

********

人が場と対峙すると、自然に場と自分の内面との間に化学反応が生まれ、それが動きになる。

動きは、踊りになることも、声や歌になることも、言葉や物語を書き記すことになることも、絵や色彩として留めようとすることに発展したりもする。

その結果が、芸術、アートと呼ばれる。

どうしようもなく、内側から外へと、溢れ出てしまうものの臨場感。

自分の内側のみならず、時には集合無意識的なものをひっぱりだして場と対峙することもあるかもしれない。

そうした「表現」にふれた人は、そこに宿るなにか目に見えない部分を嗅ぎ取り、そこでカタルシスを得て、癒しとなるのではないかと感じました。

********

最初のワークは、自分の感情が動かされたエピソードを「他人に伝わるように」書き記す。そして選ばれた男性が、その時の感情を感じながら、部屋の中を歩く。そこにもう一人、別のエピソードと感情を持つ女性が加わって、歩く。

他の参加者は、その様子を観客のように見守る。

ワークの中で、自分の感情を抱えたまま歩く2人は、そのまま一つの物語になっていく。

男性のやるせなさを湛えた背中、だんだん遅くなっていく歩調、次第に立ち止まり、うずくまる。

一方で女性は怒りと共にあり、自分の腕を叩いたりしながら、スピーディに無秩序に歩き回る。

時に二人が接触しそうになると、それによって目に見えない空気の変化が生まれる。

人と人の「あわい」に存在する目に見えない「何か」がはっきりとわかる。

その様は実に生々しく、歩いている様、速度、表情は紛れもなく濃厚な「ドラマ」。

********

続いて、藤本先生からは「世阿弥」の「離見の見(りけんのけん)」の話を。

元々は「演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識」のことを言うようで、自分が客席を見る視点である「我見」、客席が自分を見ている視点である「離見」、3つの視点が存在すると考える。

お能の演者は舞台に立つ前に面をつけたまま30分ほど鏡に向かう。

そうやって、しっかりと内に入ってから外を見る。

********

今回はこれを応用して、まるで能面の内側から世界を見るような心持ちになって見ると、自分の「表現」はどう変わるか?と言うワークをしました。

「私」が見る「我見」。(主観)
「あなた」が私を見る「離見」。(相手の主観)
あなたが私を見ているのを「俯瞰して」見る「離見の見」。(メタ認知)

パートナーと膝をつき合わすほど近く向かい合い、目の前いるその人の目を見て、先ほど書き記したエピソードを相手に話して見る。

と、まぁ正面にいる人と向かい合っているだけで非常に居心地が悪い(笑)

そして、次に擬似的に能面をかぶってみる。

顔の前にかざした掌を面に見立てて、指の隙間から相手をみる。

そうしてしっかり内に入ってから、手を外し、先ほど書き記したエピソードを相手に話すと、同じ距離感であるにもかかわらず、何か目に見えない防御壁があるような感覚がする。

落ち着いて相手の目を見ながら伝えることができる感じがする。

意識で作る「面」の存在が、わたしたちを変える。

********

実は、先の二人が感情を抱えながら歩く様を観ていた私は、気づけばドップリと重たい何か、を腹に抱えていました。

よく「エネルギーを受ける、受けない」というような話題がセラピスト間で出ることがあるけれど、私はセラピーの時にはそういったことはほとんどない。

なんとなく、それは体質的に受けにくいものなのかと思っていたけれど、今回のワークを通じてわかったのは、それは「セラピー」と言う枠組みになったその瞬間から「面」をしっかりつけるクセがついているからだということ。

でも、ドラマの渦中で感情を放出する2人を、軽い気持ちで無防備に眺めていたらこんなにもゴフッとなる!しかも、まるで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観終わった後のような、やり場のない、尾をひく重さ。心理療法だと少しずつ様子を見ながら。。。と言うところも「演劇」と言うフォーマットを借りると、なかなかスリリングな感じで切り込めるんだなぁと感じました。そのせいか、出てくるモノが生々しくてダイレクト。今回は短いワークだったから、それを消化するほど展開するには時間が足りなかったのかも。

でも、日頃心身が頑丈すぎることがややセラピストとしての機微にかける気がしていたのだけど、「意外と微細なものを感じているじゃないか!」と、腹に重いものを抱えながらも喜ぶ私(変態・笑)

********

それにしても、こんな風に感情を出し入れする「役者」さんと言うのは本当に大変だろうといつも思う。

下手すると、沼のように役柄から抜けられなくなり、役の感情が自分の自律神経系やホルモン系にも作用して、体調にも影響が出るかもしれない。

きっとそれは、ケアする側やセラピスト側にも同じことが言える。

だからこそ、自分の「ニュートラル」「クリアさ」がどこにあるかを知る必要がある。

それを知ることで、「演技」「ケア」「セラピー」どのシーンであっても、本番の時にギアを入れ、終わったらスッと元に戻ることができるようになる。

では「ニュートラル」になる方法とは!?

こんな風に「シアターワーク」と「離見の見」の体験は、目に見えない領域をどう感じるか、どう整えるか、と言う長年の課題に対する一つの答えや新たな課題を提案したようで。

数日経った今もまだこの体験を考察しているわけです。

いやー、めちゃめちゃおもしろかった。

********

本田泰成 (立教大学 学生)

自分の絶望した時を描写して、最終的に言葉だけじゃ物足りないから、声で、身体で表現するワークでした。
その時に驚いたのが(言葉として改めて、あ〜そうだよね、わかるわかる。となったのが)
表現とは空間性、その時の周りの人間関係、圧、環境の中ですじが出てきて(あわいという言葉も少ししっくりきます)、ただそれに添うということ。
自分の内在されたものの奥底にあるものと、それらの環境のあわい。それを身体がつなぐのか、とわかる。

踊りもそうで、踊りって本来そういうものなのに。。。という自分の停滞感が解放された感じがありました。

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上智大学 日本ソマティック心理学協会大会「ケア」と「ソーマ」〜心と体からの癒しを探る〜 にて、
ボディワーカー・身体論者の藤本靖さんとともに「演劇と身体論」〜シアターワークで体験するソマティクス としてワークショップを行いました。

僕 小木戸利光は、英国ノーザンブリア大学の演劇・パフォーマンス科にて、現在の”シアターワーク” に通ずる芸術表現を通じた人間教育の可能性を最初に学びました。演劇教育や心理療法としてのシアターワークは、特にイギリスやアメリカでは社会的にもよく認知されているかと思いますが、日本ではまだまだほとんどよく知られていないと言ってよいのではないかと思います。僕は、大学などの教育機関においては一つの実践の学問として、また同時に、地域社会・コミュニティーにおいては自他の存在を尊び、各々の心と身体とともに健康に生きてゆくための一つの実践的方法として「シアターワーク」をもっともっとたくさんの人たちに知って 体験してもらい、自分自身の心と身体の働きや実感を通じて、より自らの存在の核心に近づき、それを獲得してゆくきっかけにしていただくことができればと願っております。

日本ソマティック心理学協会大会にて、シアターワークにご参加の方々が感想を寄せてくださいました。そのいくつかを、以下に一部抜粋、紹介させていただきます。ボディワーカー・身体論者の藤本靖さんと協同でワークショップを行いました。

中川れい子(NPO法人タッチケア支援センター理事長)

「ソマティクスと表現」
2日目の午後は、ロルファーで身体研究家の藤本靖先生と、アーティストで俳優の小木戸利光先生のワークショップをとりました。タイトルは「シアターワークで体験するソマティクス」最後は、ソマティクスの本家本元、内側から生き生きと自分自身を感じる体験へ。

私自身の大学時代の専攻が、もともとが「美学」。アートや表現についてを学んできたのですが、なので、そこから、ケアや癒し、ボディワークへと辿りつくことは、自分でも摩訶不思議な旅でもありました。とはいえ、私の中で、癒しやケアが、ソマティクスでなければ困る理由は、この私のルーツにあります。

芸術やアートは、瞬間瞬間にその感動は生まれ、そして一人一人の内側のハートに届くものです。その感動が、内側から感じる活き活きとした私のからだ、ソーマを通して起こるものでもあります。

舞踏や演劇のみならず、音楽や、絵画、そして、詩や小説ですら、身体的な表現であり、それは、芸術家のソーマから、観客のソーマへと伝達するものなのでしょう。

これは、初日のパネルディスカッションで語られた60年代、80年代の「肉体の反乱」ともつながるし、また、ソマティクスの草創期である、1920年代のヨーロッパで起こった舞踏表現にもつながります。

8月に、大阪大学で開催された、エビデンスに基づく統合医学研究会での「人に寄り添うケアとは」のパネルディスカッションで、京都大学医学部看護学教授で元淀川キリスト教病院師長の田村恵子先生から、セラピストたちは、ケアの現場を、自分自身の「表現」にしてしまってはいないか?という問いかけを思い返します。それが、一方的な自己表現にすぎないのならば、ケアの現場にセラピストはかかわらないほうが良いと思うのですが、本来、エサレンや、ソマティクスから来ている私にとって、ケアやセラピーとは、どこか身体的な表現と切り離すことができずにいる自分がいました。

ようするに、セラピスト自身が、「私が何を感じ、考えているのか? そして、どのように動くのか?」という一人称を手放して、100%相手に寄り添うということは、不可能だからです。少なくとも、セラピスト自身の、内側の心地よさ、、、は、とても重要。

ここは、藤本先生が、能の「離見の見」を例にとり、とてもわかりやすく解説してくださいました。「ケア」というテーマの大会に、こうしたワークショップは、ある意味、チャレンジでらっしゃったと思いますが、ソマティクスの原点は表現やアートと切り離すのは無理があるのでしょう。

俳優の、小木戸さんの動きや、身のこなしはとても美しく、時とともに、しなやかに会場全体をつなげていきます。微細で繊細な動き。大地と、空気、、、そして、参加者とのつながり。

こうした、波のような動きが、エサレンボディワークの場合、エネルギーのみならず、癒しそのものを創り出すことを、私たちは、知っています。だから、動きはとても大切な癒しの要素。(だから、エサレンボディワークは、The art of Healing ともよびます)

藤本さんのガイドによる、コンタクトインプロゼーションも、一人称と、間主観がつながっていく、人と人との「寄り添い」の原点を、動的に再体験しました。この人と人とのあり方、寄り添いの、一人称と一人称とがつながるリアリティを、ケアの現場にもっと伝えれたらなぁといつも思うのですが、、(実はここを伝えるのが一番難しい)

小松ゆり子(Touch for World 代表/パーソナル・セラピスト)

最後の分科会は藤本靖先生と、アーティスト・俳優の小木戸利光さんによる「演劇と身体論 『シアターワークで体験するソマティクス』」。

これが、まさに「セラピーと芸術」が相互であることを体験できる、とても面白いものでした。

********

常々アーティストはある種のヒーラーである、と思っている。

シャーマニズムやそれにまつわる儀式は何かしらの芸術性が付随していることも多い。

シャーマンやアーティストは、より粒子が細かいものを感じとることに長けている人たちなのだと思う。

最初に小木戸さんから「”表現”とは?」という問いが。

「表現=表に現れる」ということ。

********

人が場と対峙すると、自然に場と自分の内面との間に化学反応が生まれ、それが動きになる。

動きは、踊りになることも、声や歌になることも、言葉や物語を書き記すことになることも、絵や色彩として留めようとすることに発展したりもする。

その結果が、芸術、アートと呼ばれる。

どうしようもなく、内側から外へと、溢れ出てしまうものの臨場感。

自分の内側のみならず、時には集合無意識的なものをひっぱりだして場と対峙することもあるかもしれない。

そうした「表現」にふれた人は、そこに宿るなにか目に見えない部分を嗅ぎ取り、そこでカタルシスを得て、癒しとなるのではないかと感じました。

********

最初のワークは、自分の感情が動かされたエピソードを「他人に伝わるように」書き記す。そして選ばれた男性が、その時の感情を感じながら、部屋の中を歩く。そこにもう一人、別のエピソードと感情を持つ女性が加わって、歩く。

他の参加者は、その様子を観客のように見守る。

ワークの中で、自分の感情を抱えたまま歩く2人は、そのまま一つの物語になっていく。

男性のやるせなさを湛えた背中、だんだん遅くなっていく歩調、次第に立ち止まり、うずくまる。

一方で女性は怒りと共にあり、自分の腕を叩いたりしながら、スピーディに無秩序に歩き回る。

時に二人が接触しそうになると、それによって目に見えない空気の変化が生まれる。

人と人の「あわい」に存在する目に見えない「何か」がはっきりとわかる。

その様は実に生々しく、歩いている様、速度、表情は紛れもなく濃厚な「ドラマ」。

********

続いて、藤本先生からは「世阿弥」の「離見の見(りけんのけん)」の話を。

元々は「演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識」のことを言うようで、自分が客席を見る視点である「我見」、客席が自分を見ている視点である「離見」、3つの視点が存在すると考える。

お能の演者は舞台に立つ前に面をつけたまま30分ほど鏡に向かう。

そうやって、しっかりと内に入ってから外を見る。

********

今回はこれを応用して、まるで能面の内側から世界を見るような心持ちになって見ると、自分の「表現」はどう変わるか?と言うワークをしました。

「私」が見る「我見」。(主観)
「あなた」が私を見る「離見」。(相手の主観)
あなたが私を見ているのを「俯瞰して」見る「離見の見」。(メタ認知)

パートナーと膝をつき合わすほど近く向かい合い、目の前いるその人の目を見て、先ほど書き記したエピソードを相手に話して見る。

と、まぁ正面にいる人と向かい合っているだけで非常に居心地が悪い(笑)

そして、次に擬似的に能面をかぶってみる。

顔の前にかざした掌を面に見立てて、指の隙間から相手をみる。

そうしてしっかり内に入ってから、手を外し、先ほど書き記したエピソードを相手に話すと、同じ距離感であるにもかかわらず、何か目に見えない防御壁があるような感覚がする。

落ち着いて相手の目を見ながら伝えることができる感じがする。

意識で作る「面」の存在が、わたしたちを変える。

********

実は、先の二人が感情を抱えながら歩く様を観ていた私は、気づけばドップリと重たい何か、を腹に抱えていました。

よく「エネルギーを受ける、受けない」というような話題がセラピスト間で出ることがあるけれど、私はセラピーの時にはそういったことはほとんどない。

なんとなく、それは体質的に受けにくいものなのかと思っていたけれど、今回のワークを通じてわかったのは、それは「セラピー」と言う枠組みになったその瞬間から「面」をしっかりつけるクセがついているからだということ。

でも、ドラマの渦中で感情を放出する2人を、軽い気持ちで無防備に眺めていたらこんなにもゴフッとなる!しかも、まるで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観終わった後のような、やり場のない、尾をひく重さ。心理療法だと少しずつ様子を見ながら。。。と言うところも「演劇」と言うフォーマットを借りると、なかなかスリリングな感じで切り込めるんだなぁと感じました。そのせいか、出てくるモノが生々しくてダイレクト。今回は短いワークだったから、それを消化するほど展開するには時間が足りなかったのかも。

でも、日頃心身が頑丈すぎることがややセラピストとしての機微にかける気がしていたのだけど、「意外と微細なものを感じているじゃないか!」と、腹に重いものを抱えながらも喜ぶ私(変態・笑)

********

それにしても、こんな風に感情を出し入れする「役者」さんと言うのは本当に大変だろうといつも思う。

下手すると、沼のように役柄から抜けられなくなり、役の感情が自分の自律神経系やホルモン系にも作用して、体調にも影響が出るかもしれない。

きっとそれは、ケアする側やセラピスト側にも同じことが言える。

だからこそ、自分の「ニュートラル」「クリアさ」がどこにあるかを知る必要がある。

それを知ることで、「演技」「ケア」「セラピー」どのシーンであっても、本番の時にギアを入れ、終わったらスッと元に戻ることができるようになる。

では「ニュートラル」になる方法とは!?

こんな風に「シアターワーク」と「離見の見」の体験は、目に見えない領域をどう感じるか、どう整えるか、と言う長年の課題に対する一つの答えや新たな課題を提案したようで。

数日経った今もまだこの体験を考察しているわけです。

いやー、めちゃめちゃおもしろかった。

********

本田泰成 (立教大学 学生)

自分の絶望した時を描写して、最終的に言葉だけじゃ物足りないから、声で、身体で表現するワークでした。
その時に驚いたのが(言葉として改めて、あ〜そうだよね、わかるわかる。となったのが)
表現とは空間性、その時の周りの人間関係、圧、環境の中ですじが出てきて(あわいという言葉も少ししっくりきます)、ただそれに添うということ。
自分の内在されたものの奥底にあるものと、それらの環境のあわい。それを身体がつなぐのか、とわかる。

踊りもそうで、踊りって本来そういうものなのに。。。という自分の停滞感が解放された感じがありました。

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(※終了しました。ありがとうございました!)

今回のワークショップは、1DAY講座として開催いたします。関東圏以外の方もどうぞご参加ください。

1日のタイムスケジュール

会場: 覚王山 高願寺

午前

10:00〜10:30 対話「心が向かってゆくほうへ、身体が動かされてゆくほうへ」

10:30〜12:00 心と身体を緩め開いてゆくボディーワーク

12:00〜12:30 ふりかえり「いま 心と身体のまんなかに 浮かんでいるもの」

12:30〜13:45 お昼休憩

午後

13:45〜14:45 「庭園に浮かびゆく物語」

〜お寺散策 & Creative Writing

14:45~15:00 ひと息

15:00〜15:45 ワークショップ「声を響かせる 〜言語を、音として、意味として発語する」

15:45〜16:30 ワークショップ「身体の表現 〜動かされてゆくほうへ」

16:30〜17:30 心と身体の演劇 〜ひとつの演劇をつくる

17:30〜18:00 ふりかえり「いま と これから」

日時    2018年11月17日(土)10時〜18時(お昼休憩あり)

場所    浄土真宗本願寺派 覚王山 高願寺

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小木戸利光よりご挨拶

「本来の自分に出会う場所」をテーマとした、ワンデイワークショップです。

一般講座では、今後セッションを継続開催し、初めての方も、2回目以降の方も、どなたにでも開かれたものとして進めていきます。また、セッションにおける変容のプロセスを大切に扱いながら、近い将来、ご希望の受講者の皆さまとともに一つの表現作品の創作に取り組みたいと思っています。詩作、演劇、踊り、音楽、絵画など、多様な形で、皆さまおひとりおひとりのなかにそれぞれに尊くユニークな可能性が溢れており、それらが今にも溢れ出てきそうなことを、セッションを通して実感しております。

Theatre for Peace and Conflict Resolution のシアターワークは、来学期以降〜国内外の多くの大学などの教育機関で授業を行う機会に恵まれています。教育現場においては、その大半が座学で構成されているカリキュラムのなかに、シアターワークとしての行学(practice=心身の動きを伴った実践)が融合していくことを目指しています。

シアターワークとともに、どこかで 皆さまにお会いできますことを、心から楽しみにしております。

Theatre for Peace and Conflict Resolution 代表  小木戸 利光

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三浦祥敬さん- Producer・Concept Designer・Event Designer

Theater for Conflict Resolution のプログラムを受講したきっかけ

小木戸さんと出会った時、まずはじめに思ったのは感性がとても近いけど使っている言語や表現の仕方が違う人だということでした。
私自身、昨年度プロデュースの役割でアートの活動に関わることがありました。表現が大事だという想いがあったからです。また、ワークショップのデザインもやっていました。小木戸さんの活動と自分のこれまでやってきたこと・考えてきたことが重なるところも多く、とてもお話を聞いて共感したのを覚えています。

とくに印象に残っているのはプログラムに誘っていただいた時のカフェでのやりとりです。

直感的に小木戸さんに連絡をとってみようと思い立ち、個人的に連絡をしました。快諾してくださった小木戸さんと2時間くらい話し、その後プログラムに参加する申し込みをしました。小木戸さんとお話し、自分の人生が進み始めた気がします。

カフェでお話する時、私はお寺のイベントでアートのコンテンツを自由に作ってほしいと企画を任されている状況でした。その当時まで、自分が主になってアート作品の制作をすることができるという心持ちになっていませんでした。
しかもお寺とイベントの規模がこれまで関わったものよりもとてつもなく大きく、「本当に自分がアートのコンテンツを作ってよいのだろうか」という迷いがありました。

これまでの活動の中で、周りの人たちにアーティストとして作品を作ることよりむしろプロデュースをすることを期待されていたのだと思います。しかし、振り返ってみると、自分の中でアーティストとして作品を作るということは無理だと自分自身の自ずから浮かんでくるアイデアに蓋をしてしまっていたのも事実です。
その渦中にいる時には明確に言語化することができていませんでしたが、おのずと浮かび上がってくるものを表現したいという気持ちが自分の中で育ってきていました。

お寺の仕事の案件が来た時、ついにこのタイミングが来たと思いました。ここで作らないと、またアーティストではない自分として可能性を押し殺すように行動してしまうのではないかと思ったのです。

これまで押さえ込んでいた表現をするという当事者として仕事に向かいたいと思いました。しかし、それがはっきりしたのは小木戸さんとお会いした後になって強く自覚したことです。その一歩を踏み出していいものかどうかと頭の中では葛藤がずっと続いていました。

カフェでは、小木戸さんに「三浦さんの作品がみたい。もうそこまで出かかっているタイミングなんですね。」と言われました。それを言われた瞬間に、自分の中で作品を作るという方向に自分が定まり、どんな批判があってもそれを形にしようと思うに至りました。

その流れで7月に実施したシアターワークのプログラムにも参加することにもなりました。小木戸さんのプログラムに参加すると、作品作りの着想を得られるかもしれないと思いました。自分が手がけようと思っている作品も演劇的な要素を取り込みたいと思っていたので、そういう要素を学びたいという気持ちが強かったのだと思います。

 

参加してみて、小木戸さんのプログラムには良い意味で裏切られたような気がします。
プログラムは全て即興的に流れていきます。もちろん最初から用意されていたものもありますが、目の前に参加者の方々の振る舞いがどんどんワークショップの場に反映されていき、プログラム自体が成長していくような感覚で面白さを感じたのを覚えています。

私が裏切られたと思ったのは、そのプログラムにおいて「自分自身の人生の課題に再度直面せざるを得ない心境になった」からです。

どこからそう思ったかというと、セッションの中のボールを渡す流れに身を委ねていた時でした。
ボールを前の人から受けて、その気持ちを紡ぐことを意識しながら次の即興的に受け取りに来た人に渡していくワークです。そのワークの中で次の人に渡す時、「あれっ、意外と受け取りにこないな」と思いました。
同時に、「どうやって渡せばいいんだろう」と思いました。
そういう状況を作り出しているのは自分自身だということをこのワークの中で強く意識するに至りました。

 

この時に思い出したのは自分のルーツのことです。

私はお寺出身で、今年になってからお寺を継ぐか・継がないかについて悩んでいます。それは今文章を書いている今、手放せたらいいなと思っていますが、家族の中で納得する答えになっておらず、状況は膠着しています。今年になって継ぐこと・継がないことについてよく考えるようになりました。

小木戸さんのプログラムを受ける時にもこのことは悩んでいたのですが、思わぬ人生の課題を直視せざるをえない状況になったのは予期していなかったことだと思います。

 

ボールを渡そうとしているのに、相手が取りにこない瞬間、「私自身が相手に受け取りにくいように振る舞っていること」に気づきました。
その時、父親のことが頭の中でつながり、父親もまた自分に渡すのが下手くそなのかもしれないと思いました。ワークの中の状況と家業における継承の中での自分自身の立ち位置は逆の関係ですが、ワークの体験から考えたことを通して、これまで考えていなかった父親の考えを類推することができたのです。

私の父親への見方は凝り固まっています。しかし、そうしてしまっているのはまぎれもない自分自身で、私の振る舞い方が変わると父親も手渡す選択肢を取りやすくなるのかもしれないと思います。もしくは他の人に手渡していけるかもしれません。現在進行形で家業の継承の話は終わりが見えずに継続中ですが、セッションの体験が詰まっていた課題を前に進めるために強く作用していたように思います。

 

セッションの効果は少しずつジワジワと出てきています。

正直、7月にセッションを体験した時には効果を強く体感してはいませんでした。しかし、考えが発酵するようにつれてセッションの効果の大きさを実感してきています。9月の頭には、私の人生の中でも主観的にとびきり大きな変容を体験しました。自分が自由になることに執着しすぎていた自分に気づいたのです。それがカパッと外れて楽になり、他の人たちがどう自由であることを手伝えるだろうかという視点の転換が起こりました。

私はこれまで活動してきたことがバラバラのように散らばり、どうもしっくりくる言葉にまとまらないことをもどかしく思いながら時間を過ごしてきました。ワークショップをデザインすることもあれば、アートの制作をすることもある。さらには今年になってからは仏教についての本を書くご縁をいただいて、執筆もしています。しかし、活動それぞれがあっちこっちを向いていて、どういう方向に向かっているのかが自分でもよくわからなかったのです。

9月の頭に自分自身が「自由と創造」のキーワードを意識していることを改めて気づきました。ただ、これまで5年以上続けてきたのは、いかに「自分が」自由になるのかという点で、視点は常に「自己」に向かっていたんです。

なんて自分への執着が強いんだろうと思いました。それを捨てることができず、しかも執着していることにも気づくことができていなかったんです。新しく芽生えてきたのは「他の人が自由になることをサポートしたい」という強い気持ちでした。その気持ちが自ずから生まれてきたことにとても驚いていて、そのきっかけはセッションの中のやりとりが影響しているのだと思います。

 

そしてこれから・・・
私は10月現在、「人がそもそも何者でもないことを受け入れ、過去からのしがらみを手放しながら可能性を開いていける機会作りを行う諸活動」を「Temple構想」を呼び、構想の実現に向けて動き始めました。

新しく持った視点は、前述の通り「他の人が自由になる手伝いをすること」です。これが私のおのずと表に現れるものとして湧き出しているような感覚をベースに素直に他の人のためになりたいと思っています。これまでであれば、そういう思いが湧いてきても「なに偽善者ぶってるんだろう」と自分自身で否定してしまっていたと思います。それを受容することができたのはセッションの場での「表に現れる表現の感覚」を共有する人たちの雰囲気を頭の中に置いておくことができたからなのだと感じています。

セッションは人生の中でついつい後回しにしてきたことに向き合い、自分自身が今大切にしていることを見つめ、古くなり使わなくなった考えを手放していく余白のような空間です。

時には人間関係を捉え直すことや自分らしい選択と関わり方を人生の中で取り戻していくことにもつながると思います。周りの人たちが「意味がない」と言おうとも、自ずから湧き上がってくる想いを受け止めることができるようになる視点を共有してもらえると思います。

私にとってはとても大きな影響を与えるプログラムになりました。
小木戸さんと時間をともにしたプログラムのメンバーには感謝しています。

三浦祥敬   2018年秋に

 

次回シアターワークはワンデイ2018年10/17(土) 10時〜18時、川崎市内の素敵なお寺で開催します。➡︎詳細はこちらをご覧ください。

 


三浦祥敬さん-はProducer・Concept Designer・Event Designerとしてご活躍ですが、頭のなかをいつも下図のように見える化しているそうです。

三浦さんが参画するチームで共同プロデュースしている活動「よみひとしらず」作品をご紹介します。

よみひとしらずさんは、11月10日(土)に横浜・曹洞宗の大本山・總持寺で実施される「仏教×SDGs 守り継ぐ そして未来へ 」のイベントコンテンツの一つとして「言霊のレストラン」を出店されるようです!

總持寺のイベントはこちら!コンテンツ盛りだくさんです。  https://higan.net/now/2018/09/jyba_sdgs/

これからのご活躍をとても楽しみにしております!

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(※終了しました。ありがとうございました!)

小木戸 利光 シアターワーク セッション

10月7日(日)14時~「演劇と身体論」分科会

◇『シアターワークで体験するソマティクス』
 藤本靖さん(ボディワーカー、身体論者)との協同のオリジナルプログラムによるワークショップを行います。

<藤本靖氏 プロフィール>
ボディワーカー、身体論者。東京大学経済学部卒業後、政府系国際金融機関で政府開発援助(ODA)の業務に関わる。東京モード学園ファッションスタイリスト学科修了。その後、 東京大学大学院で身体教育学を専攻し、 脳のシステムや心と体の関係について研究。米国Rolf Institute認定ロルファー™、ソマティック・エクスペリエンス認定プラクティショナー™。「神経系の自己調整力」に基づく「快適で自由な心と身体になるためのメソッド」を開発。簡単で、効果が高い疲労回復のためのワークが注目され、Google米国本社の研修プログラムでとりあげられる。心身の健康の専門家としてTV・雑誌など掲載多数。 著書に、ベストセラー「『疲れない身体』をいっきに手に入れる本」(講談社)、など。

⬜︎ ソマティック心理学協会大会 2018

➡詳細はこちら

➡お申込みはこちら

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<TBS 報道特集 8月18日 17:30〜放送>

「戦後世代の語り部育成事業」の取り組みに密着していただきました。

報道特集後半の特集はサハリンの語り部を目指す青年です… – 報道特集JNN TBSテレビ

 

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(※終了しました。ありがとうございました!)

Theatre for Peace and Conflict Resolution シアターワーク 秋の一般向け講座「本来の自分に出会う場所」

全4回講座

会場 神谷町 光明寺

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小木戸利光よりご挨拶

「本来の自分に出会う場所」をテーマとした、全4回連続のワークショップです。先日無事に「Temple Session ~Theatre for Easing Mind and Soul」第1期が終了しました。ご参加いただきました皆さま、心よりありがとうございました。皆さまが、心と身体を通して、表現をするということを通して、ご自身の存在をときあかし、ほどいていかれる姿に、つよく心を打たれました。最終日は、終わりではなく、この旅は、そのままに続いていくのだと感じさせていただけた、光明寺での夜でした。

一般講座では、今後セッションを継続開催し、初めての方も、2回目以降の方も、どなたにでも開かれたものとして進めていきます。また、セッションにおける変容のプロセスを大切に扱いながら、近い将来、ご希望の受講者の皆さまとともに一つの表現作品の創作に取り組みたいと思っています。詩作、演劇、踊り、音楽、絵画など、多様な形で、皆さまおひとりおひとりのなかにそれぞれに尊くユニークな可能性が溢れており、それらが今にも溢れ出てきそうなことを、セッションを通して実感しております。

Theatre for Peace and Conflict Resolution のシアターワークは、来学期以降〜国内外の多くの大学などの教育機関で授業を行う機会に恵まれています。教育現場においては、その大半が座学で構成されているカリキュラムのなかに、シアターワークとしての行学(practice=心身の動きを伴った実践)が融合していくことを目指しています。

シアターワークとともに、どこかで 皆さまにお会いできますことを、心から楽しみにしております。

Theatre for Peace and Conflict Resolution 代表  小木戸 利光

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TBS 報道特集さんが、ドキュメンタリーとして、戦争体験者の記憶の伝承を目的とした「戦後世代の語り部育成事業」に取り組んでいる私の活動に密着してくださいました。昨年秋から俳優の仕事の現場も含めた様々な場で取材を受けてきました。

今春、ロシア連邦サハリン州へ渡航し、戦後サハリンに残留を余儀なくされた「残留日本人」と呼ばれている皆さまにお会いしてきました。その旅の一部始終も、TBSのクルーが撮影しています。日本統治時代の樺太(サハリン)では、1945年8月15日以降に戦闘が激化し、多くの多くの犠牲者を出しています。無数の人々の取り返しのつかない家族の離散は、この時に起こりました。沖縄、そして、この樺太でも、地上戦が行われていたのです。会話の中で日本語・朝鮮語・ロシア語が同時に混ざって出てくるおばあちゃん。少数民族・ウィルタ族の名前、日本の名前、ロシアの名前という3つの名前を持つ、終戦直後に生まれた女性。母親はついに亡くなるその日まで頑なに自分の父親の存在を明かさなかったと話してくれた女性。親戚や兄弟がシベリア抑留に遭った女性。日本へ永住帰国をした女性。ロシア国籍を取得し、家族とともにサハリンで生きて行くことを選択してきた女性。数十年の時を経て、肉親の安否・所在が判明し、顔も分からぬ家族との再会を果たした女性。女性、女性、女性。戦中の樺太(サハリン)では、1945年8月の時点で、日本人男性のほとんどは戦地に送られていておらず、樺太に残り暮らしていた人の多くは、その家族である女性と子どもたち、そして、朝鮮半島から樺太へ渡り労働に従事していた朝鮮人の方々でした。僕がお会いした残留日本人の皆さまの育てのお父さんは、朝鮮半島にルーツを持つ方々です。

サハリンでの聞き取りの旅。そこでは、戦中戦後の悲劇だけでなく、それらの大きな受難を経て徐々に形づくられてきた多文化・多言語・多民族国家・ロシア連邦サハリン州に暮らす皆さまの人生とその在り方の豊かな側面が多く浮かび上がってきています。人種・民族の多様性とそれらの共生について、分断が拡大する世界に、サハリンが重要な手掛かりを与えてくれています。

TBS 報道特集のドキュメンタリーは、8月18日土曜日17:30〜 放送予定です !

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