シアターワーク とは

Programs / プログラム

・シアターワーク 

Centre of Distant Theatreの拠点・秋谷にて、対面のシアターワークを施しています。 

1 DAY シアターワーク リトリート

シアターワーク「私が私を大切にする、1人だけの特別学級」

・Distant Theatre / 遠隔シアターワーク

Centre of Distant Theatre から、オンラインにて  遠隔シアターワークを発信しています

遠隔シアターワーク「オンライン特別個人セッション」

遠隔(オンライン)シアターワーク プライベートグループセッション

・教育機関・企業向けプログラム / For Educational Institutions

国内外の大学などの教育機関、および、企業研修にて、平和学、紛争解決学、コミュニケーション研究、身体心理学、身体知などを文脈として、演劇手法やボディワークを用いたシアターワークの講座や講演、芸術療法としてのシアターワークを施しています。

カリキュラムの一部紹介 / Examples

/ 慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 / Keio University Graduate School of System Design and Management, –「Leadership Development Through Creative Expression and Role-Play / ロールプレイと表現に基づくリーダーシップ学習」

/ CAMPUS Asia Program / 日中韓の早稲田大学・北京大学・高麗大学共同、多層的紛争解決・社会変革のためのグローバルリーダー育成プログラム, –「Conflict Resolution and Social Innovation」

/ 早稲田大学 国際教養学部 基礎演習 / Waseda University, International Liberal Studies,  — First Year Seminar IIA「自己表現・理解の方法論と実践 ~ Explore self-awareness and indentity & Develop communication skills」

/ 早稲田大学大学院 国際コミュニケーション研究科 / Waseda University, Graduate School of International Culture and Communication Studies, — Specialized Courses「Peace Communication」w/ Takeshi Ito

/ スタンフォード大学 プログラム/ Stanford University, 「Mindful Japan」, the program by Stanford University Stephen Murphy-Shigematsu. Stanford-Keio Mindfulness Program : Naikan and Theatre Workshop facilitated by Yuki Imoto, Chizuko Tezuka, and Toshimitsu Kokido.

 


Theatre for Peace and Conflict Resolution とは?

シアターワークセッション(演劇手法のワークショップ)の成り立ち〜前編

シアターワークセッションとは、いったいどんなものなのですか?というお問い合わせをよくいただきます。

代表・小木戸利光へのインタビュー記事を掲載しました。


シアターワークセッションの成り立ちについて

■シアターワークセッションはどのようにして生まれたのか、その経緯について、聞かせてください。

小木戸:2017年にNHKドラマ「あんとき、」で被曝2世の主人公を演じたのですが、その放送の直前に、同じく「長崎の原爆」をテーマとして扱っている、ある大学の夏季プログラムの見学に行きまして、担当の先生にご挨拶をしたことがありました。
それで、その半年後くらいに、その先生から突然ご連絡をいただいたのです。

「次回の大学の集中講座で『Theater for Conflict Resolution』という演劇的手法を取り入れたシアターワークをプログラムに取り入れたいと思っています。それでどなたか専門の方をお呼びしたいと思った時に、小木戸さんの顔が浮かんできまして」と。

担当の先生と協同されている平和構築と紛争解決がご専門の他の教授さんが「Theater for Conflict Resolution」の手法を用いて実践的なプログラムをやったらどうですかとアイディアを出されたらしいのです。すぐに先生方とお会いして、大学でどのようなことができるのか、話し合いをもたせていただきました。

僕はアーティストとして生きてきていますので、きっと政治経済とか法律とか国際教養学部の学生たちとはお互いに言語が違うというか、ゾーンの違うところで生きていると思っているところがありました。でも、そんな相手だからこそ、お互いが出会うことにとても意義があると直観的に分かりまして、そして、何よりも、教育現場で自分がやってきたことが生かせるということに深い喜びを感じまして、すぐにぜひ彼らとワークさせてくださいとお返事をしました。シアターワークを通じて、学生たちと一人間同士として心の交流をしようと、彼らと通じ合えることをイメージしながら自分自身の心身をチューニングして、実際のワークに臨みました。そしたら、本当に、彼らにシアターワークが響いたのです。

彼らのなかからものすごくパワフルでエモーショナルで、その人にしかないユニークさが、文章や詩やモノローグやダンスなどそれぞれの「表現」となって、たくさん浮かび上がってきたのです。芸術学部の学生ではない彼らから、次々と、生き生きとした表現が生まれていきました。

最終日の講堂での成果発表では、その学生たちの心の声をあらわした演劇表現に触れて、涙を流す人たちもいました。僕もつよく心を打たれましたし、担当の先生も客席の一列目でチィッシュを片手にずっと泣いていらっしゃったように思います。

その時に思ったのです。

シアターワークを通じて、こうして心で通じ合えるわけですから、僕はアーティストで、彼らは研究者だとか、分ける必要はないのだと。僕自身が「こっち側とあっち側」みたいな心理的な境界線をつくっていたのでしょう。もうそういう分離的な考えをすべて手放していこうと思いました。

理論を深めて、学術論文を書いていく学生たちや先生方のなかに、シアターワークを通じて、心の感情の部分が見えた時に、やっぱり僕たちはおんなじ人間なのだと実感しましたし、芸術や表現というものにあまり馴染みのない方たちにこそ、自分自身の心や身体や感情に実感をともなってフィジカルにアクセスしていく機会があると良いのではと感じまして、その意味で、シアターワークが有意義に作用することを実感しました。大半が座学で構成されている大学という教育現場に、シアターワークとしての実践の学び(practice)を融合させていきたいと思うようになったのは、この時からです。


論理・エビデンスに重きがある現代のなかで「感性」がもたらすもの

■  学問や研究っていうのは論理の組み立てとエビデンスの世界ですよね…シアターワークとはある種対極、とも感じるのですが…

小木戸:社会のなかでは、感じることとは、目に見えなくて、不確かなことだと、捉えられることもおおいですよね。学生との間で、こんなことがありました。

前述のA大学のプログラムで、東北の被災地に行って数日間滞在し、被災された方々や復興事業を進めている方々にお会いするというフィールドワークを行いました。
被災後に旅館や工場をいかに立て直してこられたのか、それから、未だに続く困難についてお話を聞かせていただいたり、ご家族を亡くされた方がその喪失の悲しみや地震や津波からの教訓を「相撲甚句」という形で歌にされていて、その歌を生で聞かせていただいたりしました。

こうした数日間のフィールドワークを経て、東京の大学にもどり、シアターワークを開始したのですが、その東北からの帰り道に、ある学生が僕のところに来て、こんなことを話してくれたのです。

『私はアメリカで育ったのですが、高校から日本の学校に入りました。その時は、アメリカとの違いが大きくて、難しいことがたくさんありました。私は自分はもともとはempatheticな (共感力が高い) 人間だったと思っています。でも今ふと思うんです、いつの間にかそんな自分を置いてきてしまったと。たとえば、日本社会の既存の流れのなかで、受験でいい大学に行くために、常に良しとされる結果を出していくために生きていくなかで、そこには心のことやエモーションのことは重要視しないという環境があったと思います。アカデミックな場のディスカッションでは、心のことは必要ないでしょ、言及しないでしょっていうムードがあると思います。だから今思うんです。私はそれを置いてきていて、empatheticな人間ではなくなってしまっていたと』

この時点では、東北からの帰り道で、まだシアターワークを始める前だったにもかかわらず、僕との交流のなかで、彼女はシアターワークのエッセンスとなるようなことをすでに感じ取ってくれていたのです。すでに彼女は、東北でのフィールドワークを経て、empatheticな自分をとりもどしつつあったのです。そんななか、翌日から、シアターワークを始めました。

今までに演劇経験があったり、表現というものを勉強してきている学生はほとんどいないなかで、シアターワークを工夫して進めてみますと、一人一人のなかから、驚くほどに、豊かに感情やその心の声が現れてきまして、やはり僕たちはハートを持った人間なのだということを、彼らがあらためて教えてくれました。

そうこうしているうちに、東北のフィールドワークのなかでは、ほとんど口を開かなかったような学生が、演劇的なワークショップを行ったあとに『大槌と釜石の皆さんとお話していた時に自分のなかに生まれた感情があるのですが、それと限りなく近い気持ちが表現されている歌がありますので、その歌を歌ってもいいですか?』 とアカペラで歌ってくれたのです。彼がまさか歌い始めるとは想像もしていませんでした。フィールドワークでの経験とシアターワークが結びついて、彼のなかで自ずと表現が起こってきたのです。とてもとても驚かされて、もう…本当に感動しました。


人の多様性を認め合う

■  このプログラムは、感情を表現するというテーマにおいて行われたのですか?

小木戸: プログラムは二つの部に分かれていました。ひとつは担当の先生とのプログラムです。被災地の復興計画を立てる。日本財団のある500万円の助成金の枠を予算として想定して、その条件のもとで、どのような具体的プランを立てられるか。起業家として、復興のための新しい事業計画を立て、予算を割り振って、1年、2年、3年、それ以降と、長期的なスパンで計画していくという、綿密なリサーチをしながら未来の現実を見通して構築していく課題です。

そして、もう一つのプログラムが、僕とのシアターワークだったのです。
つまり、ロジックをもとに現実化していくためのワークと、人間的な心を存分に働かせていくワークという、二つの課題が用意されていたのです。ほとんどの学生たちは、活発にディスカッションができますし、あっという間にパワーポイントなどで資料をつくることができますし、普段から慣れていて得意としているのは一つ目の課題のほうでしょう。しかし、ほとんどの人が始めて経験するシアターワークという二つ目の課題のほうでも、彼らは驚くほどに、自分自身を発揮してくれました。最終日の成果発表では、それぞれのグループが、その両方の課題を発表しました。

シアターワークはグループワークです。もちろん最初は、僕がすこしずつ丁寧に時間をかけながら、ワークショップを施していくのですが、二日目、三日目になると、彼ら自身のなかからどんどんアイディアが出てきて、最終的には彼ら自身が自発的に演劇をつくりあげていきました。僕のシアターワークでは、参加者自身のなかから生まれてくるものを、一番に大切にしています。僕は途中からは、みんなをリードしていくというよりは、彼らのそばにいて見守っているという感じになっていきました。自分のなかの何かが開花して、素晴らしいアイディアがどんどん湧いてくるような学生が出てきて、そうなってきますと、学生たち本人のなかから、僕が演出をしていくよりもはるかにユニークで魅力的な表現方法が次々に生まれてくるのです。それを見て、それに触れているだけで、本当に感動します。学生のなかに、ワークを進めていくうちに、みるみる演出家みたいになっていった人がいました。彼はまるで、今まで知らなかった自分の才能に出会ったかのようでした。C先生が、そんな彼のことをこのように振り返っていました。「彼は6年間大学に通ってきて、彼の大学生活はいよいよこの冬季プログラムですべて終わりだったのですが、彼は最後の最後にやっと何かに出会ったんですよね。小木戸さんと出会って「こんな世界もあるんだ!」って思ったのでしょう。途中から、どんどん自分で演劇的なアイディアを出してきて生き生きとグループワークをリードして演劇を作り上げていきましたね。」

実は、僕は、当初、彼のことを見ていて、もしかしたら一番シアターワークが響きづらい人かもしれないと思っていたんです。それが、実際は真逆で、素晴らしい結果で出て、僕自身がとても勇気づけられました。僕のシアターワークでは、表現に優劣をつけるということがなく、一人一人のなかから生まれてきたものをそのままに尊くユニークなものとしてあつかっています。


■  それぞれの人にそれぞれのカタチがあり、ユニーク。その多様性を認めることが「紛争解決」につながるというお考えですか?

小木戸:はい。まずは、紛争地に目を向ける前に、目の前の私たち一人一人が、こんなにもユニークに異なっていて、多様性に溢れた存在であるのだということを実感していくというのが、僕のシアターワークのエッセンスの一つです。

学生のなかに一人、発達が凸凹な子がいました。

つい我を忘れるほど夢中になって自分の意見をどんどん表現していくのですが、そのうち、他のグループのメンバーとの調和がとれなくなっていって・・ 彼も次第にまわりの雰囲気が分かってきて、最終日の前日に、彼が突然泣いて教室を飛び出すということが起こったんです。僕は別のグループのところにいて、すぐに駆けつけると、彼はトイレで顔をあらいながらとても動揺して泣いていて、先生がその姿を見守っていました。彼の存在については、初日から、僕なりに理解していたつもりでしたので、あらかじめ、こういうことが起こる可能性も予測していました。彼は被災地でのフィールドワークでは、1日ホテルから出てこられず、休んだ日もありました。

そんな彼のことを、僕は心の友のように感じていました。彼のことがすごくよく分かるような気がしていたのです。トイレで泣いている彼を見ていて、一瞬の判断で、彼を散歩に連れ出しました。彼と二人で歩きながら、僕は自分の中学や高校の時のことを話しました。僕は彼のなかに昔の自分を見たような気がして、自分の人生に起きたことを彼に話して共有したいと思ったのです。そして、彼の話をゆっくりと聞きました。彼との関係は、あの時から、本当に始まったのだと思います。

散歩の後は、僕と彼とC先生でランチに行きました。その時には彼は、韓国、シンガポール、アメリカとさまざまな国で育ってきた自分のバックグラウンドについて話してくれました。あの時の彼の繊細な表情を、僕はこれからもずっと思い出しては大切に思うでしょう。

そして、その話を聞きながら、C先生は、「vulnerability」という言葉を出して、彼にそれについて話をしました。C先生の器の大きさと聡明さに感銘を受けました。僕が学生たちとシアターワークを通じて同じゾーンのなかで深くコミュニケーションをしているとしたら、先生方は、その僕たち皆のことを、もっと俯瞰したところから見守り、包み込んでくれているのだということをあらためて感じました。

彼は、ランチのあと、ものすごく元気になりました。そして、何事もなかったかのように、笑顔で自分のグループにもどっていきました。グループにもどる瞬間の、あの時の彼の勇気を思うと、僕は彼から人生レベルで励まされるような気持ちになります。最終的に、彼は素晴らしいアクトをしてくれました。感情にアクセスすることが上手で、自分でメンバーとともにシーンを設定して、セリフまでつくって、演劇を作り上げました。とってもとっても繊細で、感受性が豊かで、であるからこそ、世の中に自分の気持ちのよい居場所を見つけられないという人は、とくにこの日本には、無数にいるのではないでしょうか。そんな人たちのなかのおおくは、自分とは本質的に異なる、社会の規定の物差しを当てられて、いろいろな人からいろいろなことを言われて、自己肯定がうまくできず、そのことによって、本来の自分自身の心の声や素質や能力にすなおでいられなくなっていると思います。シアターワークでは、自分がより自分自身になっていく、本来の自分自身に出会っていくということを、とても大切にしています。受講者との出会い、そして、グループワークのメンバー同士の出会いは、本当に一期一会です。その時々で、シアターワークのような心の運動を必要としている出会うべき方々と出会っていくのだと、心に決めて、Theatre for Peace and Conflict Resolutionの活動を進めています。何か、心にピンとくるものがある方は、ぜひ受講してみていただきたいです。

(2018年夏 文責:TPCR事務局)