Distant Theatre / Participants’ voice 参加者の声

いやー、ステキでした。

新たな体験だった。

そう、オンラインでは

更なる想像力、が、湧き起こる

っていうのかな。

距離や時を超えて。

それをテクノロジーだけじゃなくて

やはり感覚でやるんだというのが

あった。。

 

圧倒的に各々違う、

どうしようもないむき出しの自分を

表していくこと、

あたたかい思いやり、

心臓の鼓動をベース音に

共に存在していて揺れていた。


10時〜17時半までのあっという間の豊かな時間でした。
表現することで
あるがままに受け入れられる場所というのは
ある一定の物理的な場所じゃなくて
実はひとりひとりの内面にある場所。
わたしたちは、つい外を探し回りがちだけど
いつも大切なものは自分の内側にあるのかもしれない。

小木戸さんのすばらしいシアターワークの世界で、心も身体も1日遊びました!
意識のなかで輪っかをつくって
みんなで手をつないだり、
オンラインなのに
場の空気を感じ取って
声を重ねていったり
身体をゆたかに感じられるということが
これほど幸せなことか。

【わたしは、この身体で生きていく】

自然にでてきたのは
こんな言葉で、
自分の身体が
これほど愛おしいものだと
湧いてくる。
感受性の豊かなHSPさんの集まりだからこその
繊細で、空気が震えるような場だったなぁ。

「人から踊らされているんじゃなくて、身体のパーツひとつひとつが言い出して踊る」という言葉を発してくださった方がいました。

人生をドライブしていくのは
いつもそんな感覚なんだ、きっと。

素敵な場でした。
みなさま、ほんとにありがとうございました
1人が欠けても違うものでしたね。
きっと。


みんなみんな

自分を生きたい

自分をそのままに生きたい。

そのままの自分と
つながって

そのまんまの自分を生きたい。

そのまんまの自分で
大切な人と
つながりたい。

私たちの「いのちの願い」は、シンプルだ。

「ただ

ただ

自分のそのまんまを生きたい」

でも、このシンプルが
本当にむずかしい。

まずは

このシンプルな願いに
気づくことからはじまり
この自分を生きると
決めること。
そうして
歩み出す。

自分のそのまんま、になることに向かって。

ここに向かうことは
決して楽ではないよ。

でも、私たちは、もう

「いのちの願い」を
無視して生きることはできなくなった。

だから
そこに向かうと決めたんだ。

つらくて、苦しいときがあっても

一歩も進めなくなってしまっても

どんなにやったつもりでも
そこにたどりつけない悲しみも

それでも、そこに向かっている

その姿に、尊さに
手を合わせたくなる。

そこに、向かっている。

それだけで、いいんだよ。

同時に
「そうだったんだ!」って
自分のことが、わかったときや
「私の中にこんな気持ちがあったんだ」って
自分の中の真実に出会ったときの感動。

その一つ一つの喜びは
いつも心に響くね。

そしてその度に
「自分」になっていく。
私はその過程を
「いのちの願い」に呼応したみんなと
歩みたいと思う。


なんていうか、、、
急流の中に膝まで浸かって圧倒されながらも、
水の冷たさとか、気持ち良さとか、
匂いとか、緑の濃さとか、気配とか、
いろーんなものを全部感じ取って、
そして同時に記憶してる感じ。
それは体が自動的にやっている。

オンラインだから、
実際の距離はすごくあるってわかっているけど、
そこに圧倒的な人の気配がある。
人の気配があるし、初めましての人々を前に
恥ずかしさやドキドキや、
えいって飛び込む勇気とか、そういう
自分の感情の動きもちゃんとある。

いや〜こういうの体験しちゃうと、
フリーエネルギーとか
そういうよくわからないものも
きっとあるよね、って思う。知らんけどw

”わたし”が描かないようにして来たし、
どうしてもそれは気持ち悪くて出来ないけど、
でも、きょうは、
”わたし”じゃないわたしが描きたいのは
あぁそうか、これだよ って思った。
それを、描ききるまでは、死ねない。
それを描ききったら、もう行ってもいい。

最後にみんなで砂浜で輪になった時の
風が通り抜ける感じとか波の音とかに加えて、
つなぐ手に感じる体温や汗が
泣きたいくらい優しかった。

ほんと今日はね〜、すごかったです!
シアターワークってどんなものかも、
そもそも何をやるのさえ知る前に、
そういうの全部ぶっ飛ばして
「行かなきゃ!」って思った不思議。
また参加したいって思うし、
いやいや今日のこの体験をまず
大切に大切に愛でたいとも思います。


 

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